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平安時代から室町時代にかけてあったとされる美濃国厚見郡の荘園。現岐阜市茜部が遺称地。もとは桓武天皇の勅旨田で809年2月21日立券荘号して厚見荘号し、桓武天皇の皇女朝原内親王に譲られ、開墾地が洪水で荒れたあと茜部荘が拓され東大寺領となる。960年に茜部荘に改称された。1214年の見作田(耕地)77町余で毎年年貢を絹100疋・綿1000両と定め学侶100口の衣服料として貢進。施入時の面積は墾田117町339歩であったが、1214年には77町4反240歩と畠30町となる。鎌倉時代に大江広元の子の長井時広が地頭になり、代々これを相続、東大寺と訴訟を繰り返して勢力を拡大するが、鎌倉時代に後醍醐天皇が没収し、東大寺に再寄進した。大寺は寺僧、公人などを請負代官に任命して在地支配を行わせたが、守護以下の武士勢力の圧迫によって年貢額はしだいに減少し、その支配は文明年間(1469~87)をもって終わる
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