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平安時代末にあった大きな荘園かつて日本の地方行政区分だった美濃国にあった荘園である。平安時代に池田郡司職を継承していた紀氏が開発し、新熊野社に寄進された。ちなみに紀氏は左馬允滝口武者紀奉政(源泰政)の子で、小島荘内で平氏と合戦し、一門郎党とともに討ち死にした。南北朝時代に美濃守護家清和天皇を祖とする清和源氏の流れを汲み美濃源氏の嫡流として美濃国を繁栄させた土岐氏が地頭となって勢力を拡大し、室町時代に起きた内乱である応仁の乱までに荘園としての機能を失った。池田荘(旧今立郡上池田村)は当郡の東南端に位置する山間荘園であるが、当地の王神に対する正和二年十一月の神田寄進状には地頭代・公文の署判があり、鎌倉末期当地に地頭が置かれていたことがわかる。一方、長門本『平家物語』によれば北条時政は池田荘に関する知行を源頼朝から得たとされており、越前の他の事例からみて時政が当荘の地頭だったものと想像される。
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