|
天得元年12月27日に菅原文時が村上天皇に対して提出した封事である。全3条あり、贅沢の禁止、売官の禁止、外光の再建と文芸の振興の観点から外国からの使節を接待する施設の復活を書いたものであった。律令制下で,政治上の意見を徴する詔に応じて,官人たちが封進した奏状。日本では唐令を基にして作られた大宝令(701成立)の中に,意見を述べようとする者は,密封して上進せよ、その意見は少納言から天皇に奏聞するが、公正を期するために開封してはならない、と明文化されている。 その具体的な規定は平安中期の《新儀式》《西宮記》等に詳しく見える。まず天皇から宮廷の官人や地方の国司らに対して意見徴召の詔書が発せられると、一定期間内に国家の利害に関する明確な意見を示し密封して太政官に提出する。少納言がそれを奏聞すると天皇は表紙の封進者名を切り棄て主題ごとに分類してから朝議に付託する。そこで公縁たちが封事定と御前定を行い逐条審議の末に採択と決した意見は、関係官司に頒下して施行するという手順になっていた。やがて平安中期以降は,意見の徴召自体がほとんど行われなくなった。室町後期には幕吏が将軍の諮問に応じて意見状を作った。
|