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10世紀において日本の土地状況は悲惨なものであった。偽籍が横行したためである。律令制において支給された農地を税が租が軽減される女性名義を偽った口分田所有者が多く、中央財源減少に繋がっていた。そのために班田収受は902年を最後にして行われなくなった。天皇自身も荘園整理を行ったが、成果は出なかった。それに対し漢学者の三善は受領として備中国の国司の地位にあり、その時の経験から、醍醐天皇に対し行政の障害の除去などを書いた自身の意見書を出す。それには土地問題が地方の政治を乱していると指摘し、対策として諸国の人口状態を再調査し、正確に口分田を与え、余った土地を政府のものとし、それを賃租とし、地子を今まで持ち主不在であった土地の租税分に充てることで財源不足を補うべきと主張した。その後唐が滅び日本が目指した律令国家の手本が無くなり、国内においても独自の社会体制が生まれ、王朝国家が形成されていった。
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