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平安時代末期に、院政の進展に伴い内裏における政務討議である陣定に代わり、上皇や法皇が自分の御所内において議定を行って重要な決定を行うようになった。この議会に参加できたのは皇が認めた特定の者だけとされていた。後嵯峨天皇による院政下の寛元4年に院政の改革が行われ、鎌倉幕府の評定衆に倣って政府と親しいとされる公家の西園寺実氏を中心に5人の評定衆が任命されるとともに開催場所も院庁文殿と決められた。この場所で訴訟問題や政治問題など扱われるようになり、行政・司法・立法のすべてを管理していた。院文殿に記録所の機能が兼ね備えられ、律令法や儒教に詳しい中下級公家が職員として置かれて、院評定をスムーズに行うためのサポート的立場での業務を行うことになった。以後。院文殿において院政の中心的な機関として活動するようになり、南北朝時代末期の室町幕府によって、政治の権限を奪われるまで続いたとされる。
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