|
835年に嵯峨上皇時代に安倍安仁が初見であるとされている。上皇の家政機関として設置され雑務が仕事であった。次に1086年前後において白河上皇の時代になると、扱いが急激に変わり、治天の政治意志を具現化するため実務を遂行する。様々な役職を設置し、院司は政治を担う重要な役割を果たしていった。その主な役職として、最高責任者に南淵永河が任命され職務を全うした院別当、またそれを補佐する役職が院半官代であり庶務も担当していた。文書と記録の作成係と雑務もこなした院主典代、上皇の天皇在位中の六位蔵人のうち、院主典代の定員外の者を待遇した役職である院蔵人、上皇に各方面からの奏請を取り次ぐ役である院伝奏、主として近衛府などから選ばれる院御随身。退位した上皇に対して新しい天皇より尊号が授与されるとともに封戸・随身が与えられた院御随身などがある。実質的に室町時代前期まであったとされる。
|