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例えば殺人を犯して死刑を求刑された者に対し赦に浴してその罪を許された場合で、犯罪被害者の家族から復讐されるおそれのある時、被告をを違う国に移して1戸を立てさせ、難を逃れさせることである。「法曹至要抄」によれば、もし群盗共殺の時は、下手人および頭首人を移す、ただしもし死家に父子祖孫伯叔兄弟等なくして、復讐される憂がないものは、あるいは他国の雑戸および陵戸、官戸、家人、奴婢に充て、もし婦人が犯あり、あるいは他主の家人を殺す者は移す限りでない。また移すべきを移さず、移すべからざるを移さば、官司を徒1年に処すという。実際の歴史においての出来事として平安時代の武将平維衡は。長徳4年(998年)、維衡は遥任の国司として下野守在任中であったが、伊勢国神郡において同族の平致頼と合戦を繰り広げた為、後日二人とも朝廷に呼び出され、維衡は過状(詫び状)を提出し淡路国へ移郷となったとされる。
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