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10世紀末から同族平致頼との抗争に勝利し、軍事貴族としての地位を高める。伊勢平氏は藤原道長のもとで源頼信らと同様、道長四天王とまでいわれた平維衡以来、源氏と双璧をなす武門を誇ったが、勢力は他に遅れをとっていた。しかし、その権力をバックに、伊勢平氏は国司を歴任して四国や九州を中心とした勢力圏を形成し勢力をかためた。支配が弱まり、天皇親政が復活し、源平間の形勢は次第に逆転へと向かい、父と親子二代で前九年の役、後三年の役を平定し、名声、信頼が高かった朝廷の警戒が強まり、白河法皇の治世下においては冷遇されていく。1107年に出雲で反朝廷的行動の見られた源義親の追討使として因幡国の国守に任命される。翌年、義親の首級と称するものを都へ持ち帰った。子平忠盛も鳥羽上皇の時に内昇殿を許され、公卿に準ずる地位にまで家格を上昇させた。死後、平清盛が継ぎ、平治の乱を制し、天下人となり、平家の栄華を築き上げる。
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